「令和X年のオセロー」9月3日上演決定!

昨年ご好評を頂きました、「令和X年のハムレット」に続きまして、「令和X年のオセロー」の上演が決定しました。

日時 令和4年9月3日(土) 2回公演 5000円
   ライブ配信、アーカイブ配信あり 2500円

作・演出 吉村元希

場所 吉祥寺シアター

《概要》
シェイクスピアの四大悲劇の一つとして有名な「オセロー」を、ジェンダーギャップの観点から翻案し、またそれを身体によって表現する舞台である。

《テーマ》
今年「令和X年のオセロー」では、デズデモーナがトゥシューズを履く。
本作ではトゥシューズは”女性はこうあるべきと定めされた美しさ”を象徴するものとする。
その伝統的な美しさに憧れながらも、社会の構造によって与えられたジェンダーロールに苦しむ女性は多い。
まずは一度、その靴を脱いでみませんか?という提案、つまり違う生き方も出来るのではないかと言う可能性を提示したい。


女性の問題は男性の生きづらさにも繋がっている。
家父長制の頃、家長が稼ぎ、家族を養っていた。
しかし、現代日本の経済状況は一部の人々にしかそれは許されない。
現代の男性も背負いすぎているものがあるように思う。

そして、過去のストーリーにおいて、ともするとありがちな”女性が美しく死ぬことでの悲劇性”によるドラマの形成を批判的に考える。

昨年の「令和X年のハムレット」という作品においても、今までワタシたちが慣れ親しんできた物語をハムレットの台本になぞらえ、男性主体にしか語られなかったストーリーを捨て去ることで、女性の新しい生き方を見つけられるというテーマを描きつつ、「オフィーリアは何故死ななければならなかったのか」を問うた。

本年もまた、女性〈デズデモーナ〉が美しく悲しく死ぬことによる原作「オセロー」のエンディングに現代的な解釈を施し、今現代の行き詰まる世情をどう生き抜くかについての提案としたい。

今回、ジェンダー問題だけでなく、もう一つ重要なテーマがある。それは「人は何故踊るのか」
江戸時代末期に「ええじゃないか騒動」という、民衆が街を熱狂的に踊り練り歩くという歴史的な騒動があった。
そのときの当時の時代背景を考えると、おそらく民衆に鬱屈した思いがあり、その鬱屈が大きなエネルギーとなって爆発しただろうと思われる。
コロナ禍もさることながら様々な世界的出来事に心が暗くなる日々が続く、この現代にも通じるものがあるだろう。

《隠れたサブテーマ》
原作「オセロー」では、ムーア人という民族性の違う人物に対してのレイシズム、また、明朗快活である女性が浮気の疑いを掛けられるというセクシズムの問題を扱っているが、本作「令和X年のオセロー」では、上演時60歳を迎える吉村元希がデズデモーナを演じることによって、三大差別(レイシズム、セクシズム、エイジズム)の全てを乗り越えることを試みる。
 来年日本の人口のうち50歳以上の女性が50%を超えるという。(国立社会保障・人口問題研究所による新たな全国人口推計より)
反面、50歳以上の女優は母親役や孤独で寂しい女性、50歳以下である場合は性的な存在として描かれることが多いとも言う。
吉村元希本人が、これから50歳以上の女性が活躍する台本を執筆していきたいと考えてはいるが、古典戯曲など過去の作品の数と比べると、生きているうちに書き残せる数には限界がある。ならば、今までの戯曲で通常”若い女性”が演じる役も、50歳以上の女性が演じていくべきなのではないかと考えた。
中年以降の女性俳優は、皆、わざと老け込んだり、白髪にしたりすることで配役される機会が増えると聞く。実際の年齢では配役されないのである。50歳の人は50歳の役を配役されない。50代の女性の役に、実際には60代以上の方が配役されることが多いように思う。女性たちは世間一般の「お婆さん」のイメージに寄っていかなければならないのか。こうした現実と創作作品上の虚構との乖離をそのままにしておいて良いのか。
ハムレットは高齢男性が演じることがあるが、オフィーリアはどうか。
「そんなバカな」と思うところに、マイクロアグレッションがある。
まだ可視化されていない小さな差別の数々。見えない物を見えるようにしていきたい。

・ハラスメントについての吉村元希の考え
ハラスメントについて、各所からその見解が出ている。
当団体はどうすべきか深く考えた。
もともと、強権によって稽古場を支配するような在り方に疑問を感じていた。
差別的な発言、強制的な稽古、性加害、相手の人格を否定するような行為など決してあってはならない。
しかし、〇〇しません、××しません、という非定型の文章ばかりで本当に良いのか。
何がハラスメントに当たるのか、明確な線引きがあるわけではないと思う。
その人によって、状況によって、それぞれ判断していくべきこと。
なによりまずは互いに敬意を持って接すること。
作・演出・主宰と、キャストスタッフはお互いに等しい人権を持つ人間であることの確認。
そして、何がハラスメントなのか、お互いに考える時間を作ること。「それはハラスメントではないのか?」ということに対して誰でも意見を言えるようにしていくこと。
人間は誰しも間違える。
ハラスメント問題は出発点に着いたところだと思う。
間違えても、立ち止まり、お互いに、敬意を持ってトライ&エラーを共有していくことを実践してみたいと考えている。
何より、参加者が演劇を心から楽しめる稽古場にしていきたいと思う。