・久しぶりの観劇で、女性だけの芝居を観るのは、高校演劇以来でしたので、新鮮な気持ちでした。
女が「男なら!」という台詞を繰り返す場面は、ちぐはぐさもあって、印象的でした。「男は女、女は男」という台詞を想起しました。
妻役の嘆きの演技がいいなと思いました。AIやアンインストールなど、物語における仕組みが理解できなかったので悔しかったです。。原作マクベスのあらすじを確認すると、AIなどの設定は、マクベス夫人の「野心家」を取り、個人の尊重について注視させるキャラクターにするためだったのかな?と思いました。
冒頭の、踊る魔女の場面が好きでした。個性的な衣装も、物語の始まりにわくわくしました。エンディングの乱舞の中、マクベスの娘を抱えて彷徨う従者が不気味でしたが、娘の生存説に繋がるなら面白いかも、と思いました。
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不勉強で恐縮ですが、久しぶりにシェイクスピアに触れることができて嬉しかったです。(女性)
・原作について知識のない私でも、最初から最後まで楽しめた作品でした!
俳優さんの演技がすばらしく、特に夫人(元水 颯香さん)の感情表現の強弱が素敵でした。
魔女のコミカルなシーンを除き、BGMはほとんどつけていなかった記憶ですが、構成やセリフ、迫力のある演技によって世界観にはいりこむことが出来ました。
マクベスと夫人の関係性は、まるで昭和時代の夫婦のように感じられましたが、
それぞれの性格に似た部分をもつ人間は、現代に溢れているように思います。
マクベス=女心のわからない恋愛経験の少ない男性(しかし良くも悪くもピュアな部分がある)、
夫人=幸せな家庭を目指す、理性をもった女性(しかし本音を全てさらけ出せず、ストレスをかかえている)
最後にAIがアンインストールされ、夫人の意思が戻ってきたとき、既に何もかも吹っ切れていて一人で子供を育てていこうと決意していた姿には
まさに「令和」を感じました。
また、AIがアンインストールされる直前に、マクベスがやっと夫人に歩み寄ろうとしましたが、「今さら遅いし、これは結局一時的なもので、彼の根本は変わっていかないのだろう」
という、諦めの気持ちや憤りを感じたので、私としては、夫人の決断にすっきりしました。
夢遊病の期間、夫人にはAIがインストールされていたからといって、作中のAIが過去の夫人の感情や言葉から予測・形成されるものとしたら、
結婚したころはこんなに心は冷たくなかった、それでも幸せな家庭を作っていきたいという葛藤や、自分の行動に対する罪悪感などはきっと根本にあった感情で、
最後の夫人の決断は、何度も何度も自分の中で葛藤し悩み自問自答した結果なのだろうと、感じました。そして、そういった感情に女性として強く共感をしました。
(個人的には、月経前のPMDDと似たものに感じました。自分自身の感情は残っているし、たしかに自分ではあるのだけれども、自分のネガティブな感情が肥大化し自分自身ではコントロールできず、別の何かに支配されている感じ)
「女だから」「男だから」という括りで考えることは、今は時代遅れだと感じつつも、そういった時代だからこそ、結局、女性の立場だから共感できる、男性の立場だから共感できる、いうことも多いのだろうと考えさせられました。(女性)
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・最初はマクベスってなんか頼りない不器用なやつだなぁと思って見ていましたが、途中から、自分がもしマクベスの立場なら同じような選択をしているかもと思うとマクベスが他人とは思えなくなってきており、どんどんマクベスが追い込まれていくうちに、自分も追い込まれているような気持ちになりました。
・普段、女性の気持ちが汲み取れずよく怒られることがありますが、劇中のマクベスの妻の「ひんやり」について考えるシーンを見て、少しだけ女性の考え方がわかったような気がしました。(男性)
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・ジェンダーを扱う作品は数多くある中で、古典劇を全員女性で演じる試みが興味深く、セリフや衣裳も現代アレンジも併せて、棘もありつつ説得力がある舞台でした。
舞台上は椅子と照明のみの演出で、役者さんの動きに集中できたのも良かったです。個人的には妻役の元水さんが特に良くて、「名前のないマクベス夫人」の情動と、女性ならではの土壇場の強さが伝わりました。(男性)